教会に通うまでの人生⑦の続きです。
その教会のお姉さんは新約聖書の以下の箇所を読んで聞かせてくれました。
「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」
新約聖書のテサロニケ人への第一の手紙5章23節
そしてこう教えてくれました。
「人間てね、霊と心と体からできてるんだよ。だから夕陽ちゃんにも霊と心と体があるんだよ。」
心と体があるのは分かります。
霊の存在だって否定するわけじゃありません。
私は子どもの頃、霊を見たり、霊の声を聞いたりしたことがあったので、霊の存在は信じてます。
でも、霊って肉体が死んだ後に生じるものだと思ってたので、今生きている自分に霊があると言われて軽く衝撃を受けました。
一瞬、
「生き霊!?」
という考えも浮かびました。
源氏物語に出て来る六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)みたいな?
(六条御息所は光源氏の恋人で、光源氏の正妻や他の恋人に激しく嫉妬し生き霊になって現れ、彼女たちを呪い殺してしまいました)
しかし、聖書で言う「霊」はそんなおどろおどろしいものではありませんでした💦
生き霊とか幽霊とかホラーな感じではなく、むしろ「私自身」でした。
霊は私たちの肉体が生まれると同時に生まれ、肉体が死ぬと肉体から離れて霊界に行って永遠に生きるというのです。
そして、霊界は大雑把に分けると「天国」と「地獄」ですが、その中でも細かく分かれていて、自分の霊がどの霊界に行くかは、『肉体が生きている間どのような行いをしたか』によって決まるのです。
もちろん善い行いをした霊は天国に行き、悪い行いをした霊は地獄に行くと予想できるのですが、ポイントは
行いの『善悪』の基準は神様にある
ということです。
人間が見るに悪くない行いも神様の基準では悪いこともあるし、人間が見るに悪い行いも神様の基準では悪くないこともあるのです。
そしてその神様の基準はどのように知ることができるかというと、
『聖書』
に書いてあります。
じゃあ聖書を読めば分かるのかというと、書かれた時代背景が分からないと意味が分からなかったり、比喩で書かれているので比喩が解けないととんちんかんな理解をしてしまうことになります。
だから正しく聖書を教えてくれる人から学ばなければいけません。
お姉さんの話を聞き終わった私は、
『なんかすごい話を聞いてしまったかもしれない。。。』
と思い、ドキドキしました。
私は高校生の時、
『人は何のために生きるのか?どのように生きるべきか?』
とすごく疑問に思い悩んでいましたが、大学受験のためにその疑問に一旦蓋をし、大学に合格してからは、その蓋を開けることもなく、楽しく幸せな毎日にその疑問を完全に忘れてしまっていました。
聖書について聞いたこの日、私の霊について聞いたこの日、久しぶりに私は人生の疑問の蓋を開け、聖書を学んでいけばこの疑問が解けるかもしれない。。。と期待で胸がドキドキしました。
そして、実際に聖書を学び続けて、本当に人生の疑問が解けたので、私はキリスト教福音宣教会に通うことにし、今も通い続けています。