地元の公立高校に入学した私は、1年生の終わりの文理選択で当然理系を選択するつもりでした。
中学生編で書きましたが、薬剤師になりたかったんです。
だから担任の先生との面談で、
「理系にします」
と言った時、先生が
「あ~んたは文系でしょう~!?」
とあきれ顔で言うのを聞いて、
頭の中でガラガラとすべてが崩れる音がしました。
先生の口調が
「太陽は東から昇るでしょう~!?」
と言うくらいの揺るぎない自信に満ち溢れてたので、それを押し切って、
「いえ、私は理系に行きます!」
とは言えなかったんです。
年を取って神経が図太くなった今の私なら言えると思いますが、若干16歳の小娘には、多くの生徒を見てきた経験豊富な先生の言葉に抗うなんてできませんでした。
そして私は文系に進み、夢を失ったままそれなりに楽しい高校生活を送りました。
この頃にはほぼ神様を信じていませんでしたが、倫理の授業でイエス様について学ぶ機会がありました。
倫理の先生は夢見がちなイギリス紳士のような雰囲気で授業をする人でした。
「イエスは十字架の上で、神に向かってこう言うんですねぇ。。。
『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです。』
自分を十字架にかけたユダヤ人のことをゆるしてくれと神に願うわけですよ。。。」
先生、もう生徒の顔なんか見てません。
感極まって斜め上方をうっとりと見上げて今にも昇天しそうでしたw
私は心の中で「ヤバい、この先生、クリスチャンかな?」と怪しみましたが、不思議とイエス様のそのセリフが心に残りました。
自分を殺そうとする人のために神様にゆるしを乞う??
人間として到底できないことだと強く印象に残りました。
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さて、そのうち高3になり、周りも一気に受験ムード。
私は将来の夢が決まらないまま志望校を決め
ただ大学に合格することを目指して受験勉強を始めました。
相変わらず医療には関心があったので、末期患者の手記やホスピスに関する本などをたくさん読んでました。
そういう本を読みながら
「人はみんな死ぬのに何のために生きるんだろう?」
「どうせ死んじゃうのに努力する必要あるのかな?」
「いい学校に行って、いい会社に行って、いい家庭を作って、いい暮らしをするためだけに生きるのかな?そもそも『いい』って何?誰が決める基準?」
と色々人生に対する疑問が湧いてきました。
しかし、そんな疑問とは関係なく入試は迫って来るので、とりあえず疑問の壺に蓋をして受験勉強にいそしみました。
⇒大学受験編につづく。。。