東大生とキリスト教福音宣教会

東大生とキリスト教福音宣教会

キリスト教福音宣教会には色んな大学の大学生がいます。

東大生も結構います。

私が大学生だったのはずいぶん前のことなので、昔話として読んでいただきたいですが

当時、教会には東大の大学生も大学院生も、理系も文系も、男子も女子も、全部いました。

そして私が他の東大メンバーによく言われたのは、

「夕陽って普通だよね~」

というセリフです。

はい、私もそう思いました。

だって普通じゃない人が多かったんですw

文Ⅰ首席合格者もいれば、博士、学生にしてプロの通訳者、書道の師範、武道家、ダンサー、etc…

とにかく多才な人がたくさんいました。

3,4か国語話せる人が何人もいて、楽器ができる人も歌が上手い人もたくさんいて、

みんないつやってたのかあらゆるスポーツも得意で、、、

かといって、ビン底眼鏡をかけたいかにも東大生の外見でもなく容姿も素敵で。。。

私がキリスト教福音宣教会に来て私の辞書から捨てた最初の言葉は

『天は二物を与えず』

でした。

一人で三物も四物も持っている人がたくさんいたからで、逆に

「こういう人たちも神様信じるんだ。。。」

と衝撃を受けました。

私は小さい時から体が弱く、それで不安を感じることも多かったので、

神様に救ってほしい、という

『弱い者がすがる信仰』

をしていました。

そして、宗教とは一般的にそういうものだと思ってました。

しかし、キリスト教福音宣教会に来て、そして東大のメンバーたちを見て

その考えは完全に崩れました。

弱いからすがるんじゃなくて、はたから見ればなんら足りないこともなさそうな人たちが、より良い自分になるために努力してるんです。

キリスト教福音宣教会でしていることは結局

『自分づくり』

でした。

聖書を学んで、自分の悪い考え方、性格、行い、習慣などに気付き、それを直していくこと。

教会に来なければ、聖書を学ばなければ、今の自分のまま楽に生きられたのに、

わざわざ自分の悪いところと向き合って、もっと良い自分になるためにもがいてるのです。

私が抱いていた『弱い者がすがる信仰』とは、とてもかけ離れていました。

むしろ強くないとやっていけない生き方でした。

鄭明析先生はよく

「人間の価値は精神だ」

とおっしゃいます。

肩書や地位や名誉だけが人間の価値じゃないと分かったから、多くの東大生と卒業生が私たちの教会で信仰生活をしています。

なかなか変われない自分に時には心が折れそうになっても、結局自分の精神を良く変えられるのは聖書の言葉だと信じているからです。

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