教会の人たちとの食事会があまりに楽しかったので、次回からは誘われても誘われなくてもその家に行って夕ご飯を食べるようになりました。
誘われなくても行ったので、たまに玄関の鍵がかかっていたりして、しょんぼりして帰ったことも。。。
(今思うと、水曜の夜でみんな水曜礼拝に行ってたんだと思います)
そんな感じで常連になってた私ですが、そこに来ている人たちのほとんどが学んでいる聖書には全く関心がありませんでした。
それまでの人生で、実際に聖書を読んだのはただ一回きりだったのですが、その時の印象があまり良くなかったのです。
10歳くらいの頃,一人で道を歩いていたら、向こうから歩いてきた中年女性に突然呼び止められました。
彼女はおもむろに聖書を開き、ある文章を指して私に
「ここを読んでもらえますか?」
と言いました。
わけがわからないまま私がその文章を読むと、彼女は
「こんな世の中が来たらいいと思いませんか?」
と一枚の絵を見せてきました。
私が読んだ聖書の箇所はイザヤ書11章で、キリストが来るとオオカミも子羊も、ライオンも子牛もみんな仲良く一緒に暮らすという内容が書かれてあり、彼女が差し出した絵にはまさにその様子が描かれていたのです。
私はとっさに
「そ、そうですね。」
と答えて逃げるようにその場を去りました。
子ども心に、獰猛な動物、おとなしい動物、人間の子どもが一緒に楽しそうに暮らしている絵に違和感を感じ、
「なんか聖書って意味分かんないものだな」
っていう印象が残ってしまったんです。
(10年後、キリスト教福音宣教会で聖書を学ぶようになり、その動物たちは人を喩えたものだということが分かった時、非常に納得しました。)
なので、私はキリスト教もクリスチャンも尊重するし、聖書も否定しないけど、学んでみたいという関心は全くありませんでした。
そんな私が聖書を学ぶようになったきっかけがありました。
食事をしに行ってたお家の住人のお姉さんに
「夕陽ちゃんの好きな映画はなあに?」
と訊かれたのです。
私はその前週にレンタルビデオで借りて見た『ゴースト/ニューヨークの幻』だと答えました。
その映画は、主人公の男性が暴漢に襲われ死んだ後、霊になって、同じ暴漢に襲われそうになっている恋人の女性を救おうとするストーリーで、それをお姉さんに話すと
「聖書にも霊についての話が書いてあるよ」
と言って、聖書を開きながら霊について教えてくれたのです。
その霊についての話が私の人生を180度転換することになったのです。
教会に通うまでの人生⑧-霊の話につづく。。。